髪と生きる

美容師になったのは偶然か?必然か?

私は中学校から軟式テニスを始め、中学生2年生の時に福岡県大会で3位になりました。
高校は、中学の先生と中津工業の権藤先生の強い薦めで、越県して中津工業に入学。
でも入学当時男子ばかりで面白くもなく、仮病を使って2回ほど早退・・・

そして3回目をチャレンジしたとき権藤先生が横に来て「正露丸を飲んだら治る!」と一喝され、その後は365日練習漬けの日々でした。

高校2年の時、全国大会に出場できましたが、成績はさっぱり。
心を入れ変え練習に明け暮れましたが、膝を痛めて3年の春、膝の手術。
1か月入院となり、選手生命が終わると同時に進学の道も絶たれました。

就職することに決めた私は、横浜にある東芝の発電所の機器を作る工場に入社。
所属先は「設計部補器課」という課で、蒸気を水に戻し、再度その水で100度以上のお湯を作る高圧機や大きなタンク等を設計する所でした。

仕事は順調にこなしながらも、この仕事の責任の重さなどに「自分はこの仕事…向いているのかな…?」 と悩むようになりました。
数年後、課の先輩の女性が夜間の美容学校に通っていて、クラスには美容師を目指す男性が6名いることを話してくれました。
その話を聞いた瞬間、私がふっと思い出したのが、10歳位の時大晦日の夕方、
母親を探しに3件くらい美容室を覗いた時の光景でした。

覗いた全部の店がとても活気があり忙しそうだったこと。
そしてなにより母が綺麗になって帰宅したことが、とてもうれしく誇らしく感じたという記憶でした。

「人生をかけたら自分でもこんな仕事が出来るかもしれない」と転職を考え、その思いを配属していた課の30人位の方々に相談した結果、全員が「頑張ってみろよ!」と応援してくれました。

このようなことが、今の私の存在の原点であり、中津工業高校に進学していなければ、そして東芝に入社していなければ、今の私はなかっただろうと考えると、
これまでの人生の中で出会えた方々に対して本当に感謝の気持ちでいっぱいになり、
それと同時に「もっともっと頑張ろう!」と思うことが出来るのです。

著者近影

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